「さぁ、長谷川まつりの話をしよう。」vol.1収録SS公開

芸能人はカードが命!20にて頒布した新刊のおまけペーパーに収録したSSを公開します。
新刊「茉莉は高嶺の花だから。」の通販も後日改めて告知いたします。お楽しみに!

ミトクリーム

前髪を指で撫でられた時、懐かしい薄荷の香りがした。
「あ、ミトクリーム。」
思わず声が出た。毛先を整える手を止めることなく、担当の美容師があら、気づいた?と話を始める。
「雑誌のインタビュー読んだらなんだか付けたくなっちゃって。はせまつちゃんって知ってる?」
「誰ですかそれ。」
えーっ知らないの!?私も知らなかったけど!と笑いながら話とカットを続けようとした矢先に電子音が鳴る。
「あ、電話。その雑誌のミトクリーム特集、待ってる間読んでてよ。」
「はーい。」
電話のベルに忙しなく対応する店の主を鏡越しにちらりと観察しつつ、たまたま手に取っていた雑誌の件の特集ページを開いた。

あ、このお嬢さんか。きれいな子だな。
小さな写真ではあったが、オレンジ系ゴールドブラウンの柔らかそうなロングヘアが印象的な少女が写る。
彼女のインタビュー記事をざっくり斜め読みし、母親の匂いがして懐かしい気分になるからと、ミトクリームを愛用していることが分かった。
電話、もう少しかかりそうだなという雰囲気を察知し、記事を読み進める。
なんでも、長谷川まつりちゃんは全寮制の小学校に六年通ったのち、別の全寮制の中高一貫校に通っているとのことだ。長期の休みだけ実家に帰るという生活が、まだ十代の彼女の人生の大半を占めているなんて。
そして、そんな大人びた生活を送る少女がお母さんのことが大好き、と答えるくだりで鼻の付け根がじん、とした。
子供の頃のほほんと生きていた自分と彼女の境遇を当て嵌めてしんみりしていると、電話を終えた美容師がお待たせ~、と近づき、手元を覗きこむ。
「はせまつちゃんの記事、読んだんだ。」
「すごいですね彼女、まだ中学生なのにほとんど家族と会ってないって。」
「あ、そこまでは読んでないわ。」
適当な人だなぁ、とやや呆れながら雑誌を閉じる。
後ろ髪の具合を確認し、適当な人だけど腕は確かなんだよなと改めて思い、店を出た。

長谷川まつりちゃんかぁ。どんな子なんだろう。
帰りの電車の中で時間をなんとなく持て余しつつ、手のひらサイズの端末に彼女の名前を打ち込み、検索結果の文字列から気になったものを選び、眺める。
彼女についての記事は決して多くなかった。
アイドルには疎い私だが、文字を追ううちにこの子は駆け出しのアイドルだろうという結論に至った。
彼女の活躍とは別に、長谷川不動産系企業の記事も何件かヒットする。苗字が同じだから検索結果に表示されるのだろうか。
「長谷川まつりちゃん、かぁ。」
改札の中にある本屋でほんの数十分前に読んでいた雑誌を探すも、どうやら前月号だったらしく見たことのない表紙の同タイトル雑誌が店頭に並んでいる。
次に髪を切りに行く時に、文句の一つでも言ってやろうかと思いながら書店を後にした。

「あ、ミトクリーム。」
数か月前に美容室で同じセリフを呟いたのを思い出す。
ここは時折買い物で利用する郊外のショッピングモール。
エスカレーターの吹き抜けの下は催事コーナーとなっており、ちょっとしたステージでは時折アイドルやお笑い芸人等の無料ステージが開かれている。
今日はミトクリームの催事をやっているようで、大きなのぼりが掲げられている。
ステージ付近にカートを押しながら近づくと、ミトクリームのパッケージ配色である白地に黄色、緑のラインが入った制服を着ているスタッフが忙しなく動く中、ステージの脇で待
機している女の子、数か月前に香りの正体を口にしたのがきっかけで知ったその子がいた。

長谷川まつりちゃん。

彼女を紹介する司会が終わり、スタッフと買い物客、そして彼女の熱狂的なファンと思われる集団の拍手の中登壇した彼女はゆるいウェーブのかかった長い髪を揺らし、元気の中にどこか上品な雰囲気を漂わせて客席へ挨拶をした。
「皆さんこんにちは!ミトクリームイメージガールの長谷川まつりです!」
なるほど、それであの雑誌の記事だったのか、と心の中で頷いた。
雑誌の特集にあった母親とのエピソードの詳細と、今でもレッスン中に転んですりむいてしまった時などに愛用しているというエピソードを披露していた。
「たまになんでもない時に塗って、においを楽しむこともあるんです!」
しっかり者に見えておちゃめなところもある彼女の新しい一面を知り、私は次第に彼女に興味を持ちつつあるな、と自覚した。
その場を通り過ぎるには惜しい、彼女は不思議な魅力を持つ少女だった。

そして、話題はミトクリームの新しいCMについてと移り変わる。
「新しいCMは、なんと!わたくし長谷川まつりがナレーションを務めています!」
映像は放送をお楽しみに!と前置きし、その場の拍手を浴びた彼女は、音響スタッフにCMのBGMを流すように促した。
優しいピアノの伴奏から始まり、彼女の髪に似てふわりとした声色が空間を包んだ。

発表が終わり、気付けば「ミトクリームを買うと彼女から手渡してくれるという」列に並んでいた。
私の順番になり、引換券と渡すと彼女は私の手を両手でふわり、と包み「ありがとうございます!」と目を輝かせながら言った。
「雑誌読んだよ、これからも頑張ってね。」
後ろの列を考慮しつつ、彼女にそれだけ伝える。
「ありがとうございます!お姉さんに見てもらえるよう、これからも頑張りますね!」
彼女の握手に力が入る。
わっごめんなさい!と彼女は慌ててミトクリームを私に手渡した。
お互いにお礼を言いながら私は列を離れた。

そのまま建物内のCDショップに行って彼女の名前を探したが、やはり駆け出しのアイドル、在庫どころかまだ世に出ていないらしい、というのを店頭とインターネットの

海で改めて知った。

彼女の歌声が聴けたのはもう少し先の話。

【終】