「茉莉は高嶺の花だから。」1

2019年10月に頒布した「茉莉は高嶺の花だから。」を公開します。

全4回予定です。

  

1.

愛情には一つの法則しかない。それは愛する人を幸福にすることだ。

There is only one law in affection. That’s to make the person who loves happy.

 

 

言いたいことがあるんだよ

長谷川まつりは可愛いよ

生きててくれてありがとう

まつりは高嶺の花だから

僕の見つめるその先で

笑顔でいればそれで良い

僕にじゃなくても構わない

誰かに笑って生きてくれ

生きてくれ。

 

・・・・・・・

 

僕と彼女の出会いの話をします。

大学二年生の頃、ひょん、としか言いようのないきっかけでTHUNDERBOLTファンの友人とライブを見ることになりました。

僕が人生で一度もライブを生で見たことがないという話を何の気なしに友人に話し、それならば、と友人がチケットを手配してくれたのです。

今までライブ自体に興味はありましたがなかなかチケット運に恵まれず、収容人数が何千、何万という規模の会場で行われるものをウェブ中継で観覧するという事が何度かあったくらいでした。

友人に連れられて初めて足を踏み入れたのはいわゆる地下アイドルという、メジャーデビューを目指して日々活動する人達のライブでした。

初めて入るライブハウスの入口へ続く下り階段の怪しさと胸の高鳴りは、今でも昨日のことのように思い出せます。チケット料金を支払いフライヤー、ドリンクチケットを受け取り、防音扉に手をかける友人の後ろを、まるで親鳥に続く雛のように付いていきました。

 

鈍い音を立ててドアが開き、友人の肩越しに目に飛び込んできたライブハウスのステージと客席の距離に驚きを隠せませんでした。最前列とステージの距離はライブハウスにより異なるというのは、後々にいくつものライブハウスに足を運ぶたび体験として覚えていくのですが、この箱は直径十数センチほどのポールの先は階段一段分の高さのステージという、最もファンと演者の距離が近いものでした。

平日の開催、また、開場してすぐに入ったというのもあり、最前列のポール前は人がまばらでした。ただ、場所取りのためか、それぞれのアイドルの名前やユニットのロゴが入ったロングタオルがかかっているのが印象的でした。

友人曰く、最前より四、五列目の方がアイドルと目が合い易いということですが、それを語る友人の熱のこもり方に場数の多さが窺えました。友人は顔見知りと思われる三人グループに声をかけられ、にこやかに喋り出したかと思った刹那、ペンライトの電源を入れ黄色い輪となり「よっしゃ行くぞー!」と掛け声を上げ気合を入れていました。

僕はというと、指定席のない空間で何となくそれを眺めつつ、手にしていたややアルコールの濃いジンバックをちびちびと飲んでいました。

 

時計が十九時を回った頃、開演を知らせる挨拶が煌びやかな衣装に身を包んだ女の子達からアナウンスされ、それから先はタイムテーブル通りにライブが始まりました。

二十分弱のそれぞれの持ち時間で、個々のアイドルグループによってくるくるとステージの雰囲気が変わっていきました。観客達もそのステージに加担するように全力で声を上げます。統制の取れた応援は初見の僕ですら圧倒され、二番目のグループがステージから捌ける頃にはその場の楽しさに胸が躍っていました。とりわけこの会場はオールスタンディングの為、観客達がそれぞれの応援しているアイドルの順番になると最前やエリアを譲り合うという、好きなアイドルを応援する者同士の優しい光景が印象的でした。

二杯目のアルコールをカウンターで受け取った時、友人が「次の次がいよいよサンボルの出番だよ。」と携帯電話に今日のライブのタイムテーブルを表示させながら言いました。

ほうほう、と相槌を打ちながらも、その段階の僕はTHUNDERBOLTについて知っているのは服部ユウさんの容姿と、ライブ前にこれだけは押さえておけと友人に教えられた「Hey! little girl」の一曲だけでした。

服部ユウさん。今では地方のローカル番組にレギュラーを持っていたり、ファッション雑誌の特集に登場したり、ユニット名義では長谷川まつりと深夜番組を持っていたりと活躍している金髪のショートカットが特徴のアイドルですが、当時はその活躍が僕のような一般人の目に留まることはそこまで多くありませんでした。同じサークルの女子が彼女の熱烈なファンであり、事あるごとに服部ユウさんのSNSにアップされた自撮り画像を見せられて顔は覚えていましたが、アイドルにそこまで興味のなかった僕は金髪の彼女が動いている姿を見たことがありませんでした。

「今日あいつ来てないのかな。」

「どうしてもバイトのシフトに都合が付かなかったんだってさ。」

あいつ、めちゃくちゃ悔しがっていたぞ、と友人が続けました。実際、後日彼女と今日のライブの話になった時、バイト先を爆破させてでも行けば良かったと悲しみつつ、僕の両肩をがっしりと掴み「ようこそサンボル沼へ」と微笑みました。

 

「次のグループはTHUNDERBOLT!!」

それまでパフォーマンスをしていたアイドル達が次に出てくるグループを紹介するルーティンにはそのアイドルと楽屋で起きた出来事が多く、彼女らもまたTHUNDERBOLTの二人との会話を再現していました。

「みんなに伝えたい!ユウちゃんの方言めっちゃ可愛かったよ!」

ステージ上のアイドルが会場にいる服部ユウさんのファンに向けて、その時の彼女の再現を交えつつ言いました。

「まつりちゃんの髪の毛すごくふわふわでいい匂いだった!これぞ女の子~!って感じだった!」

グループ内で女の子好きを公言していた別のアイドルがメンバーに何言ってんの?と突っ込まれつつも、ユウさんの相方に言及しました。

(まつりちゃん?)

知らない単語を初めて聞いてぽかんとしていた僕に、友人が「まつりちゃんは髪が長い方と覚えると良い。サンボル二人しかいないけど。」と付け加えました。

ステージの転換の間、友人からTHUNDERBOLTの所属するスターライト学園の生徒がこのような小さなライブハウスに出ることは珍しいと言いました。

人気や認知度の程度こそあるものの、世間的に広く知られているスターライト学園所属アイドルのライブとなるとドームやスタジアムでの開催のイメージが当時の僕には何となくありました。アイドルに熱烈な興味が無くても、朝の情報番組の芸能ニュースコーナーや、外装がライブ仕様にラッピングされた電車の車両など、毎日のように目に入る情報が僕の中に刷り込まれていました。

彼女らは今日のライブを皮切りに「武者修行」と称し、小さなライブハウスでのライブ、アイドルフェスに多数出演を果たす他、ユウさんは情報番組の曜日別レギュラーメンバー、長谷川まつりは舞台等、ユニットという枠を超えたそれぞれの活動を精力的に行い着々とファンを増やしていきました。

そして、一年後に開催された全国ワンマンツアーは僕が初めて見たライブハウスよりもっと規模の大きい会場を押さえ、ツアーが始まる頃には前売りチケットはソールドアウト、追加チケットも瞬く間に完売、という会場もいくつかありました。

 

「今日はこれ使いなよ。」

友人から単色型ペンライトを四本手渡されました。

「ユウちゃんはと紫と黄色、まつりちゃんは黄緑と黄色。片手に2本ずつ持てば立派なサンボル箱推しオタクの出来上がりだ。」

箱推しというのはそのアイドルグループ全員を好きなファンの通称でした。

「いいの?ありがとう。おまえの分は?」

「ある」

友人のカバンの口から黄色いペンライトらしき影が複数本見えました。曰く、THUNDERBOLTの稲妻を表す黄色は何本あっても困らないとのことでした。

「で、お前は誰推しなの?」

今まで何となく触れなかったな、と思い尋ねると、友人の顔色が変わりました。

「一人に絞るなんて無理……」

「ごめん」

 

友人が今にも頭を抱えそうな表情はステージ転換のBGMと、フロアを照らすライトと共に消え、そこにいたファン達のざわめきも、これから始まるステージの演出のように静まり返りました。その刹那、青白い照明が煌々とステージを照らし、見ているだけの僕にもピリッと緊張が走りました。

一曲目のドラムが無人のステージにリズムを刻みます。幸い、僕の唯一知る「Hey! little girl」でした。しかし、音源のタイミングで始まったのは歌ではなく、

「みんなー!お待たせ!THUNDERBOLTのステージ始まるよー!」

という挨拶でした。客席では友人含めたファンが声の主である服部ユウさんの名前を叫んだり、拍手をしたり、各々が始まりを待ちわびていたというのを幕の中の二人に伝えているように感じました。

そして、何度目かのビートが終わると、曲の始まりであるOh Yeah!の掛け声と共に服部ユウさんがステージ上手から、ひらひらと手を振りながら出てきました。ここで一気にファンのボルテージが上がったのを感じました。

更にCome On!のタイミングで、まつりちゃんであろう人物が下手から姿を現しました。僕はここで初めて見た彼女に対し、その日初めて声を上げました。ここでこじつけのように、既に彼女の魅力に憑りつかれていた、という事もできますが、単純に服部ユウさんの時に上げられず宙ぶらりんになった歓声のエネルギーを彼女にぶつけただけでした。

贔屓目も入っているかもしれませんが、それだけTHUNDERBOLTファンの熱量が頭一つ分抜き出ていたのです。

裏拍のリズムと彼女らの歌声を支えるように響くベース音。二人のパフォーマンスはフロアのファンの盛り上がりに応えるようにキラキラと輝いていました。コールを入れる友人を横目に僕は両手のペンライトをリズムに合わせて振るだけしか出来ませんでしたが、当時の僕はそれだけでも物凄く楽しく、今度はコールを友人に教えてもらおう、もっとたくさんの曲を聴き込もうと、早くもTHUNDERBOLTの虜となっていました。

曲に合わせステージの照明も息をするように変化します。その中でも、サビに入る前のピアノでユウさんが「いくよー!」と拳を高く上げたところで黄色と白の光が彼女らを照らし、サビに入るという演出がとても素晴らしく、リズムに合わせて客席に向けて拳を突き上げる二人はとても楽しそうでした。それに合わせて腕を動かすオーディエンス。会場の一体感はその場でしか味わえないものでした。

 

曲の終わりのタンバリンが消えると同時に、休む間も無く次の曲が始まりました。トランペットの音が会場に響いた瞬間友人や他のファンが悲鳴に近い歓声を上げました。ステージの二人は、それまでとは違う様子で音と光に身を委ねます。先程まで小粋なリズムに合わせて踊っていた少女達がこれほどまでに妖艶な表情になるなんて、どうして想像ができたでしょうか。僕はあっけにとられながらも、正気を保つようにペンライトを強く握り直しました。そして、ライブが終わったら友人に曲名を聴き、CDを絶対買おうと心に決めました。

後々友人に話を聞いたところ、この曲は元々彼女らの先輩世代のアイドルが歌ったものを、たまたま今日というタイミングでカバーを発表したのではないか、という事でした。今となってはどんなカバー曲が来ても対応できる程度にスターライト学園アイドルの楽曲を満遍なく聴いた僕ですが、この日THUNDERBOLTの歌う「Thrilling Dream」を聴いていなかったらここまでのめり込むことはきっと無かったかもしれません。

二人の歌唱パートはどちらに偏ることなく交互に歌われ、いよいよ最初のサビに入るというBメロ最後の歌詞の担当は長谷川まつりでした。それまで歌唱パートに合わせて交互に彼女らを見ていた僕を、彼女は微笑みながら、その優しい瞳でいとも簡単に捕らえてしまいました。

アイドルがステージを見つめる特定のファンと一瞬だけ目を合わせる、いわゆる「レス」というものでした。

後にこの話を友人にしたところ

「気のせいと言う人もいるだろうけれど、そう思ったのならそれはレスに違いない。」

との事でした。彼とは大学を卒業した今でも大事な友人であり、僕のどうしようもない妄言を受け止めてくれる恩人でもあります。

それから先の記憶がおぼろげになってしまうほど、他のファンの肩越しに受けた彼女からの強烈な視線は、まるで稲妻が落ちたかのように、僕の心に大きな爪痕を残しました。

 

その日は合計四曲を披露し、終演後にグッズやチェキ券等の物販がありました。僕は友人から気になったのであれば、と勧められたCDと、ユウさん、長谷川まつりの各サイン入りチェキ券、そしてランダムチェキ一枚を購入しました。

サイン入りチェキとは、チェキと呼ばれるインスタントカメラで写真を撮り、チェキフィルムにアイドルがファンと会話を楽しみながらサインやメッセージを入れるというものです。ランダムチェキはあらかじめ撮影されたアイドルのチェキをくじ引きのように引き購入するもので、運が良ければメッセージやサインが入っています。ランダムチェキはステージ衣装の他にも私服や制服もあり、また、THUNDERBOLTのそれは二人で写っているものもごく稀にありました。

僕が引いたのは、レッスン後の長谷川まつりと思われる、ジャージ姿で髪をポニーテールに結ったものでした。

 

僕らはそれぞれの買い物を終え、物販列とはまた別の特典会列と呼ばれるものに並びます。演者と会話ができるという人生で初めて触れる文化に驚きを隠せませんでしたが、刻一刻と順番が近づいていきます。ハートのギターピック型のチェキ券を握る手はじんわりと汗をかいており、途中で何度か衣服で汗を拭いました。一方の友人はそれを見て分かる、分かる、と、僕の身なりをしたかつての自分へ眼差しを向けているようでした。

 

いよいよ僕の前の人がユウさんとチェキを撮る順番となり、アイドルと何を話せば良いのか考える余裕もないまま、たった今チェキへの書き込みを終えた長谷川まつりがファンをにこやかに送り出しました。そして、チェキ係のスタッフが僕の手の中にある黄色いハートのピックを確認し、どうぞ、と彼女の方へ僕を誘導しました。僕を初心者と察知したのでしょうか、ピックはまつりちゃんにお渡しください、と囁きました。

「こんにちは、初めまして!かな?」

弾む声色で彼女に話しかけられ、初めまして、と返したと思います。

先程までステージの上で輝いていた少女が今、目の前の僕だけに話しかけているという状況。今思い返してみても、僕の口から何が発音されていたのか、そもそもそれは言語だったのか、まったく覚えておりませんし、自信もありません。

彼女は頭が真っ白になっている僕の右手を両手でふわりと包み、カメラの方を見て、と言いました。その間、五秒も無かったと思います。彼女の体温と、強く握り返したらぽきりと折れてしまいそうな、細い指の感触。カメラマンが撮り終えたチェキフィルムを彼女に手渡し、そそくさと服部ユウさんと友人の撮影に回りました。

目の前にいる長谷川まつりが僕の目を見て「すごく楽しそうにペンライト振っていたね!私も楽しくなっちゃったよ!たくさん動いて暑くなかった?」等、楽しそうに話しながらじんわりと今の光景が映し出されるチェキフィルムに日付、そして彼女のサインをさらさらと書き込んでいきました。

「実はライブを生で見るのが初めてで、こんなに楽しいと思いませんでした。」

「そうなの?!嬉しい!」

彼女は喜びと驚きで目を丸くし、口元に手を当てました。そして、目を細めながら

「じゃあ、次はもっと楽しんでもらえるように頑張るね!また来てくれたら嬉しいな。」

と言いながら、書き込みを終えたチェキにふぅっ、と息を吹きかけました。それを僕に両手で手渡し、最後にもう一度両手で握手をしながら、今日は来てくれて本当にありがとう!と僕の目を見て言いました。ちゃんと目を見てお礼を伝えようと意識して彼女と目を合わせて最後の挨拶をしたのですが、紅い瞳に吸い込まれそうになり足は震えていました。またね、と手を振られることに若干の寂しさを覚えながら、ユウさんとのチェキを撮るためにもう一度特典会列に並び直しました。

その後のユウさんとのチェキでは、撮影後の記入中にすごく楽しかったこと、すぐにファンになったことを淀みなく伝えることができました。ユウさんも同じように喜んでくださいました。

「THNDERBOLTはね、私とまつりちゃんがアイドルとしてやりたいことが詰まった名前なの!これからも見てくれると嬉しいな!」

「はい!」

ユウさんとの会話は緊張しなかったのに、長谷川まつりを前にした時の緊張は何だったのだろうか。

初めてのアイドルとの接近だったから?それとも、あの瞳に見つめられてしまったから?

帰りの電車に揺られながら、ざわついた気持ちは酔いのせい、と既に冷めているそれを理由にして雑に片付けました。

 

きっと今夜は、眠れそうにない。